最近思ふコト

 

学生最後の夏休みは毎日がバイト詰めで俗に言う学生最後の夏休み(((o(*゚▽゚*)o)))感は全くなかった。

 

世間一般の大学4年生は普通学生最後の夏休みのために貯金をして国内外の旅行に行くのが定番であろう。しかし私はせっせとバイト。何故だろう。答えは簡単、ヲタクだから。

 

 

私の夏休みは、バイトが始まる時間までベッドでゴロゴロしてバイト行って帰ったらTwitter、インスタを見て友達の楽しそうな旅行写真等にいいねをする。それだけで自分も行った気になってしまうのが虚しい。理想と現実はこうも違うのか…

 

 

私の夏も決して楽しいことが全くなかった訳ではない。大好きな人に会いに行く(正しくはお金を払って見に行く)素晴らしい現場があった。2時間という短い時間の中でも私達ヲタクにとってはとても価値のある2時間である。終演後にヲタク仲間とお酒を飲みながらあーだこーだ感想を言い合うのも一つの楽しみである。

 

 

私は今まで旅行に行くなら自担に会える現場を優先してきた。それだけ自担の現場は価値あるものである…………はずだった。それが最近自分が現場に行く目的は何なんだろうと真剣に考えるようになった。一番最初にジャニーズのコンサートを申し込んだあの時の自分は、ただ純粋に自担に会いたい一心で振込用紙を手に郵便局へ向かった。だがどうだろう今の自分は。自担に会いたい目的は変わらないが熱量というものが変わってしまったように思う。テレビの中でしか見たこともなかった人に生で会ってみたい…!そんな感情はとっくに捨ててしまった。ホストに貢ぐ。その感覚にやはり近い気がする。行きたいじゃなくて行かなきゃ!という謎の使命感に襲われ、手元にある諭吉を掻き集めてはぽんと手放しチケットへと変える。

 

とても裕福とは言えない暮らしだし、趣味以外には一切お金を使わないほど貧乏性ではあるが現場の時だけ、感覚が狂ってしまう。恐ろしいことにそのことに対して罪悪感というものを全く感じないのである。すっかり事務所に飼い慣らされたヲタクになってしまった。

 

 

 

話がだいぶズレたが、来年社会人として働くのにこのような生活で大丈夫なのか不安になってきたというのが今回の私の悩みだ

 

周りの女子大生は高いブランドの小物を身につけ高い化粧品を持ち歩くなか自分はお下がりのブランド、安い化粧品しか身にまとっていない。今まで自分以外にお金を費やしすぎてしまったため自分が全く価値のない落ちぶれた人間のように感じてしまう。またこの生活をこれからもずっと一生涯続ける羽目になったらと少しずつ危機感を覚えるようになったのである。

 

 

話がまた変わるが、運が良くこの2年で最前2回、少年収2回、他にも前列(自担の視界に入るレベル())にかなりの回数入ることができ、アイドルという存在がさらにぐぐっと近くなった。そこで感じたのは、私はここ(いわゆる前列)にいるべき人間ではないということ。私のように運良く自チケで当たったという人ももちろんいるだろうが、周りはアイドルの視界に入ることに必死なヲタクで溢れていた。とても居心地悪さを感じた。そりゃあ、好きな人に気づいてもらえるのは嬉しい。私も初めて自担から確信を持てるファンサを貰って純粋に嬉しかった。その反面干されたらどうしようと不安になったり、他の子にファンサする姿を見てあれは空気ファンサだと自己暗示したり、あの子めっちゃ構ってもらってると凹んだり…純粋に楽しむはずのコンサートもなぜかモヤモヤを残したまま幕を閉じた。

 

欲というものは怖い。自分はこれ以上の欲を出してはいけないんだ。一番後ろで双眼鏡を構えてただひたすらに自担を追いかける、それが自分に一番適した応援スタイルなんだと実感した。

 

 

 

また話がズレる…(笑)結局何が言いたかったかというと自分は茶の間になりたい。芸能人として好きな乃木坂46を応援するように、行きたくなったらチケットを申し込む。外れたら諦める。それくらいの熱量でゆるく長く応援をしたい。

 

人生の大きなターニングポイントである就活ですら、自分はヲタ活を優先的に考えてしまった。自分の軸はガチガチにジャニーズで固められているのである。自分はそのままで良いのか。何度も自問自答した。

 

ちなみに就職先になりうる可能性が高い職場はシフト制で土日休みはほぼ不可能というジャニヲタにとって不利な条件である。最初はそれが嫌で結果ヲタ活に有利な事務職を中心に就活を進めた。だけど、この際今までジャニーズを優先的にしてきた生活に終止符を打つ良い機会なのではと半分妥協した気持ちも浮上してる。

 

 

ジャニーズだけじゃなくて自分磨き、また色々な刺激を受けて新しい趣味を見つけていけたらいいなぁ………そして、趣味の一つとしてジャニーズの現場に行けたらなぁと心から思う。結局何回も通うことによって、新しい発見がありさらに沼底へ引き込まれる。ならば自分はある程度身を引いた方が自分のためになるのかな、と今日もヲタ卒の難しさと格闘している。